イベントルポ「第4回オンライン証言会―核兵器をなくすことができるのも人間」part2

2020.08.19

第4回オンライン証言会のルポ第2弾です。和田さんと学生たちの質疑応答の様子をまとめています。1つ1つの質問に丁寧に答えてくださいました。

Q:1984年に大田区で活動を始めたきっかけはなんですか?

アメリカに住んでいたときに日系人の教会で証言をする機会もありました。当時のアメリカは、日本人を敵国だからといってキャンプに入れたり、差別があったりしました。戦争に行って日本兵と戦った人もいました。そのため、「被爆者」だということを言えない状況でしたし、分かってもらえないような思いでした。東京の大田区に戻って、「やっぱり自分で何かやらないといけない」と思いがあったのは確かです。そこで被爆者の人数も多かった時期ですから、みなさんと一緒にそういうことを一生懸命にやったという感じです。

Q:若者が証言を引き継いでいくうえで、大事なこと、気を付けたほうがいいことはありますか?

記憶がない、知らないということに関しては、私もみなさんとあまり変わりがありません。私が話すときに気を付けていることは、話を作らないということです。もっと、みなさんにインパクトのあるものを伝えたいと思っているのですが、私は聞いたことしか話せないと思っています。自分で聞いたことしか話せないのです。だから若い方が話をしてくださるときに、自分が聞いたことをなるべくありのまま伝えていただきたい。自分の想いというのは別の形で表現していただけるとありがたいです。自分の想いと、実相というのは違うと思っていますから、話を創作しないというのを自分自身のやり方というか戒めとして守っています。

Q:​8/9の投下直後から普段の生活が過ごせるようになるまで、どのくらいの年月がかかりましたか? また、普段の生活を取り戻す上で、どなたが主に支援されていたのでしょうか?GHQでしょうか?

その辺のところは聞いていないというのが正直なところです。証言の中で、家の中に泥が積もったと話をしたのですが、誰がどうしたのか、聞きたいです。私は幼かったので、そのときには机の上に乗せられていたと母から聞きました。どうやってそれらを運びだしたのか、どうやって直したのかを聞いていないことが本当に悔やまれるのですけれども、わからないのです。母が繰り返し話をしてくれていたときに、もっと詳しく聞いておけばよかったと今になって思うのです。少し大きくなって、井戸のそばにトマトを植えて、そのトマトを一生懸命食べました。今になって思えば、それも放射能におかされていたと思うのですけど。

GHQがそのようなことをしたというのは聞いたことがないですね。浦上に人を探しに行って、荼毘(だび)に伏して、その帰りに缶詰め工場で缶詰めをもらって帰ってきたとか、そんな生活状況だったと思いますね。

Q:はじめて被爆当時の話を聞いたときはどう感じましたか?それは何歳のときでしたか?

母は8月9日にはもちろん話してくれました。けれど、話をするのがいつって決まったことじゃないのです。中学も高校も大学も大人になってからも、うちの母とお友達が話すのを聞くこともありましたしね。いつという記憶はないです。中学のときからずっと折々に話を聞いていました。

Q:昔と今で戦争に関する報道で変わったと思うことはありますか?

量は多くなったと思います。原爆のことについてもいろんな報道があって、特に7月8月は増えていますが、その時期だけじゃないですね。年中行事のイベントみたいに報道されるのは残念だと思っています。私たち被爆者は、毎日が被爆者、1年中被爆者なんですね。だから被爆者ということを忘れたことはないですね。この季節だけで終わらせないでほしいです。平和教育を子どもたちにちゃんとしていただきたいです。

Q:戦後の学校の授業の中で戦争や原爆についてお話を聞く機会があったのでしょうか?

私の学校はミッションスクールでしたから、皆無でした。話をきいたことはありませんし、学校の中でそういうことが話題に出ることはなかったと思います。当時、校長先生がアメリカで学んできたからなのかもしれません。今ごろになって当時の先生がこんなことを書いていらっしゃるとか、戦争とか原爆のことをびっくりするようなことを書いておられる先生がいたということを、読むことができます。長い間、アメリカの占領があったからではないかと思います。ミッションスクールでしたからいろんなところからお金をもらっていたのかなとも思います。

Q:日本は核兵器の恐ろしさを訴えていながら、核兵器禁止条約には参加していないという二面性をもどかしく思っています。今の状況に関しての和田さんのご意見、今後の展望や取り組みについて伺いたいです。

もどかしいのは仰る通りです。被爆者はみんな思っていると思いますし、日本の中でも最近は6割以上が核兵器はいらないと思っているわけですから、そういうものに対してなぜ日本政府が分からないのかということですよね。いつも外務省などに要請に参りますけど、安倍さんがよく言われるように「橋渡し」とか「平和を求めることは一緒だけれども、方法が違う」としか仰らない。それをどのようにやろうと思っているのか、もう少し具体的に伝えてもらわなければ、分からないです。だからいら立つだけという感じです。まず核兵器禁止条約に入って、一緒に考えてほしいと思います。

2015年のNPTでアメリカに行ったときに、高校の授業に参加しました。そのときに歴史の先生が「日本に安全を提供しているのは誰だ?」と質問したときに、学生の一人が「We do」と言ったんです。「日本を守っているのはアメリカだ」という思いが学生の中にあるわけです。守られているから、アメリカが条約に入ると言わなければ、日本も入れないぞという感じのスタンスだと思います。「命と財産を守る」と安倍さんはよく言いますけど、核兵器があって日本の安全が守れるとは私たちは思っていません。それをどうにかして国を動かしたいというのが私たちの想いです。それにはみなさんの力が必要です。そのためには声を上げていくことしかないと思っています。

Q:原爆の実態を勉強するうえで、学習者はどのような姿勢で臨むべきでしょうか?

目を背けたらいけないと思います。資料館などに行って、気持ち悪いとか、もう見たくないとかみなさん思われますけど、やっぱり、それは本当に起こったことだということをみなさんに認識していただかなければならないです。子どもたちには優しく教えましょうということがありますけど、本当のことを言わなければいけないと思います。学習者として、とにかく知っていただきたいです。

うちの子どもも長崎の資料館に行って、途中で気持ち悪くなって戻りました。今みたいにきれいな資料館ではなかったです。結婚してから「ちゃんと見てくる」と再び資料館を訪れてくれました。どんな形であっても、知っていただくというのが一番だと思います。自分が見たこと、聞いたことを、自分の目で確かめるということですね。だから国会議員にも行ってもらいたい。オバマさんが「被爆地の広島と長崎に行ってほしい」と発言したことが報道されていましたけど、ぜひ足を運んでいただきたいと思います。

Q:これからどうやって世界の人に原爆のことを伝えていきたいと思いますか?

被爆者の平均年齢は83歳を越しているので、私たちだけの力では及ばないんです。この国際署名にしても、みなさんのお力添えがあっていろんなことができています。みなさんと一緒に、若い人たちの力を借りてやっていきたいと思います。アメリカでも日本でも核兵器はいらないという風潮がだいぶ強くなっていますし、アメリカにおいても核兵器は不必要だったという意見がだんだんと大きくなっていますよね。真実を歴史的なこととして知っていただくことがだいぶ広がってきたと思います。

Q:核廃絶の活動をする中で、支えとなる動き、希望なる動きはどんなことがありますか?そして、もっともっと私たちがやるべきことは何がありますか?

長い道のりでしたけど、ここまで来ましたという感じです。被団協ができたときに「人類の危機を救うために自分たちの経験を通してこれを伝える。人類を救い、自分たちも救うんだ」というような結成宣言をしました。それをもとにしてずっと64年間やってきました。被団協の活動は国の補償もでませんが、それでも一生懸命やってきました。そしてみなさんの賛同を得ながら、多くのNGOや市民社会と一緒にやってきてこれまで実を結んできたわけだから、それは大きな支えだと思っています。今日ここに集まってくれた人たちは自分たちのこととしてやっていくという思いがあると思います。こんなに近くにみなさんと話ができてありがたいと思っています。大きな講堂で話すよりも、一人一人のお顔を見ながら話ができます。

コロナのことを自分のこととして考えるように、核兵器のことも考えてほしいです。コロナは今後どう共存した社会を送っていくかということが言われていますが、核兵器は共存することも終息することもありません。廃絶するまで共存なんかできないんです。コロナと同じように核兵器の放射能も目に見えませが、国々をあげて連帯をして、立ち上がらなければいけない課題だと思っています。自分のこととして、コロナより恐ろしいものだという風に考えてほしいです。

 

とても丁寧に分かりやすく語りかけていたのが印象的でした。新型コロナウイルスの影響でなかなか実際に会って話を聞く機会は持てませんが、和田さんも仰っていた通り、画面を通して今までもよりも近い距離で被爆者の方の話に耳を傾けることができると思っています。

 

※こちらはYoutubeで動画配信をしています。

https://www.youtube.com/watch?v=cMpG395TIvo

NEWS

私も署名しました

東ちづる

俳優、Get in touch理事長

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Metis

アーティスト、被爆三世

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池辺晋一郎

作曲家

クリフトン・ダニエル

米国第33代大統領ハリー・S・トルーマン孫

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野口聡一

宇宙飛行士

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落合恵子

作家・元文化放送アナウンサー

ヤン・キッカート

オーストリア国連大使