《HIBAKUSHA2020~被爆75年へ向けて~》 第二段:長崎から一歩ずつ
2019.07.09事務局スタッフの鈴木です。
インタビュー企画第二弾は長崎原爆被災者協議会会長の田中重光さんです。
田中さんは『ヒバクシャ国際署名』をすすめる長崎県民の会の共同代表の1人でもあります。
-「私はピースボートで被爆者の方と各国で証言会をしてきました。その際に出会った方々には署名をお願いしていて、みなさん快くしてくれます。ですが、そこから広めるのが難しいと痛感しました。」
「特に核の恐ろしさは知っている人たちはだんだん少なくなってきている気がします。指導者は理解しているかもしれませんが、そこの国民、一人一人がどのくらい知っているのかといえば、あんまり理解していないかもしれません。日本でも、長崎広島を除いたら、温度差は結構ありますよね。例えば、東京で1時間街頭署名しても何十しか集まりません。署名のことで言えば世界で数億という目標ですが、ちょっとそこに到達するのは難しいのかなあという気もしています。」」
-「確かに渋谷などで街頭署名をしても、あまり立ち止まってくれる印象はありません。都会だと日々の忙しさや目の前の生活のことで手がいっぱいで、想像もできないような核兵器のことを考える余裕がないのかもしれませんね。」
「そうですね。核の意識は風化してきているのかと危惧しています。私たちも修学旅行生が長崎に来て碑巡りをしたり、講話をしますが、その時の気持ちが大人になったら日々の生活に追われて、消えているのかなあって感じてしまいます。小学生、中学生のときは純粋に「なくさないといけない」っていう感想文が来るんですけどね。
長崎で残念に思うのは、赤ちゃんを抱っこした人が素通りしていく確率が高いんです。長崎でも平和教育を受けた人が多いですが、そういう人たちが自分の子どもたちに、核兵器のない平和な社会を繋いでいかないといけないと思うのですが。もう74年戦争していないのだから、永久にしないんだっていう考え方に陥っていつのではないでしょうか。
人間社会は過ちの繰り返しです。それが戦争でした。戦争があるたびに破壊力の大きい兵器を開発して、核兵器が生まれてしまいました。他の毒ガスやクラスター爆弾は国際条約で禁止されていますが、それは人類を滅亡するような武器ではありません。核兵器というのは、そのときに助かったとしても、放射線の影響によって時間が経って亡くなることがあります。被爆した本人だけじゃなく、子どもや孫にまで影響のある恐ろしい兵器なんです。」
-「60年安保の時代は大学生がデモしていましたよね。3.11直後は国会で原発反対のデモも盛んでした。私が学生だったときにデモをしていた人も、安保闘争の学生も戦争を経験していませんが、それでも熱心に「間違っている」と主張していました。そういう人たちと何が違うのでしょうか?」
「友達付き合いが違うと思います。労働組合がある一定の社会的影響を与えていた時代、大企業に入れば労働組合に入るのは当たり前でした。しかし、今の公務員はあまり入りません。組合員がいないからそういう日常会話も無くなっています。この問題についてどうやろうかって考える機会がないんです。
一応見かけだけで考えれば今は平和かもしれません。しかし、貧富の差はどんどん拡大していっています。それが私たちのころは見えていましたが、今は見えなくなって気づきにくくなっています。若い人たちは変わらないって諦めてしまっています。ですが、今の学生や若い人だけが悪いわけじゃなくて、そういう子供たちを育ててきた大人にも責任があります。文明は進んだけど、人間が退化している気がします。」
-「どんどん言葉も対面で交わさなくなってきていますしね。」
「若者が変わるきっかけがないとね。一番きついのは若者です。大学で借金して、当たり前に就職できればいいけどね。一番矛盾の中に若い人たちが生きていると思います。」
-「いろんな人にもっとこの問題を知って欲しいという意味合いも込めて、現在、署名活動を行っていますが、広島と長崎は高校生一万人署名など、署名を集めやすいイメージがあります。長崎でやってきたからこそ感じる署名の意義はなんだと思いますか?」
「署名っていうのは、世論を作り上げるためにしています。署名をすることによって市民社会に呼びかけていく。そういう意味で、数が集まったら、一つの大きな圧力にもなっていきます。ですが、署名は関心を持っていない人は、街頭署名をしていても素通りしていってしまいます。素通りさせないためにどうしていくかを工夫しないといけません。
私も若い時から署名活動してきました。「ヒロシマ・ナガサキアピール」の時は長崎市民の過半数をやり遂げたことがありますがドブ板作戦でした。署名用紙を封筒に入れて、各家庭に配って、「何時ごろに取りに行くから留守だったらポストに入れてください」ってね。そして全部、地図で確認していくんです。そういう風にやって過半数の署名を取りました。」
-「ヒロシマ・ナガサキアピールだと30年くらい前ですね?」
「これは30年くらい前ですね。私がまだ、長崎の仕事に勤めていたときだったと思います。そのときはまだ活動家も若かったし、たくさんいたからそういう作戦ができました。ですが、被爆者も高齢化が進んでいて、30年前ほど動けないのが現状です。
長崎で署名数の目標が50万で、現在は33万集まっています。それは17年から18年にかけて、ララコープや創価学会が取った数が大きいです。ララコープは、今年がまた再スタートだということで力を入れてやってくれています。あとは自治会や宗教会にお願いしています。」
-「毎月26日に街頭署名を行っていますよね?」
「それは宣伝のためです。数は200から300しか集まりません。年間にしたら2000から3000の数です。ですから、街頭署名は宣伝の一環としての位置づけです。「私たちはずっと訴えているんですよ」って。それに加えて、地道な家庭訪問が大切です。あとは職場の呼びかけも重要ですね。」
-「現実的に長崎の目標数まであと17万ですが、どうでしょうか?」
「17万っていう数は並大抵じゃありません。長崎県内でも温度差があります。署名を集める人の数も減っていますしね。そもそも組織自体がないところが多いです。私たち被爆者の団体もどんどん消えています。そこに個人として被爆者がいても、よっぽど活動家だったとかじゃないと動けません。
私は若い人たちが変われば世の中が変わると思っています。それはいつの時代も一緒です。若い人たちが政治とか社会に関心をもって動き出したら変わるんです。」
-「来年はNPT本会議、NPT成立から50周年、署名集約、オリンピックなど行事がたくさんありますね。」
「オリンピックはただ競技だけじゃなくて、平和の問題も発信してもらいたいですよね。オリンピックの発祥は若い人たちが戦争じゃなくてスポーツで交流し合うことから生まれました。戦争があってもオリンピックが始まったらやめていたでしょ?そういう精神がちゃんと生かされないといけないんです。その中でちょうど広島と長崎に原爆が落ちた期間と重なるわけですから、そのことについて考えて欲しいですね。被爆から75年でもありますし。」
-「来年は『2020年』が目立って、『被爆75年』という言葉があまり聞かれないのでは?と危惧しています。」
「それは今の政権のせいでしょうね。国民やマスコミがどれだけ『被爆75年』という意識を持っているのかが重要です。」
-「署名活動はどう盛り上げていきますか?」
「現在、約半数の県にすすめる会ができているが、もっと数を増やさないといけないですね。被爆者の話を聞いて、世論を高めていく、という認識の共有が必要です。それなりの数の署名を持って、40、50名の被爆者とともに、来年はニューヨークへ行きたいですね。」
-「いろんなところから被爆者の方を送りたいですね。今回NPT準備委員会に派遣される濱住さんは胎内被爆者として初めて国際会議で発言します。継承の形が変わっている実感がありますね。」
「日本国民が自分の県にも被爆者がいるんだぞっていうことをあまり知らないんですよね。特に被爆者も偏見や差別があるから自分から名乗らないんです。被爆者団体の名前もはっきりしないし、被爆者団体っていうことがわからないようにしています。」
-「継承のフェーズが変わることに対しての不安はありますか?」
「まだまだ継承する人の数は少ないです。もっと他の県でも運動していって、そのことに国や県がお金を出す制度があればいいですね。核兵器をなくすのは全人類の課題です。
今まで被爆者は74年間ずっと自分たちだけで伝えてきました。その支援は一切ありません。そいうことにも力を入れて、例えば、国の予算でビデオを残すなどしてもらいたいです。民間任せではなくてね。被爆国としての国の責任があります。
この問題は右左の問題ではありません。国にちゃんと反省させることが再び戦争をさせないことに繋がります。」
-「本当に日本としても2020年がどのような年なのか、もっと考えて欲しいですよね。そういえば、今年はローマ法王が長崎に来ますね。」
「まだ計画ははっきりしていませんが、長崎市民として、カトリックだけではなく、どういった歓迎をするのかを考えています。ミーハー的な歓迎じゃなくて長崎になんのために来るのかをちゃんと勉強しないといけません。私たちとしては被爆者と交流する時間をぜひ作ってもらいたいですね。」
-「ぜひ被爆者の方には長崎でも出会って頂きたいですね。」
「長崎から世界へ向けてアピールを出す日になります。その中に被爆者がちゃんといる舞台を作ってほしいですね。出来たら懇談もしたいです。その期間は数万が長崎に来ますから、ぜひ署名運動も盛り上げていきたいです。」
現実的な課題と向き合いながらも、ローマ法王の来崎や来年の計画を着実に練っておられました。
「若い人が変われば世論が変わる」と仰っていた通り、
街頭署名でも積極的に若者に声をかけ分かりやすく話している姿が印象的でした。
改めて長崎のパワーを感じています。
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