Campaign News

2024年05月12日

【開催レポート】核なき世界を日本から!「核兵器をなくす日本キャンペーン」発足記念シンポジウム

 4月20日(土)明治学院大学にて「核兵器をなくす日本キャンペーン」発足記念シンポジウムを開催しました。アーカイブ映像はこちらから見ることができます。以下、当日の様子をレポートとしてお伝えします。

冒頭挨拶

 冒頭、核兵器をなくす日本キャンペーン(以下、日本キャンペーン)代表理事の田中熙巳(日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員)さんが挨拶をしました。

 「核兵器禁止条約は既に70か国の批准を得ているが、肝心の保有国とその同盟国、とりわけ核兵器の被害を受けた「唯一の戦争被爆国」日本の政府がまだ署名もしていないことは日本人にとって非常に嘆かわしい。本当に早く日本が批准をし、核兵器をなくすための先頭に立ってほしい。政府ができるだけ早く核兵器をなくす国際的な役割を果たしてもらうための活動を、超党派・超宗派で力を合わせて私たちはやっていくことになる。政府を動かすのだから国会議員だけでなく、地方議員も動かせるような運動をしていきたい。」

日本キャンペーン紹介

 続いて、川崎哲さん(ピースボート共同代表/日本キャンペーン専務理事)が、日本キャンペーンの概要を紹介しました。

 「核兵器禁止条約が発効し、締約国会議が開催され、世界中から多くの人が集い、条約に参加する国が増えている。ずっと日本政府が踏み出せていないことにいらだちを感じてきたが、第1回締約国会議終了後、多くの団体と話し、これまでにないスケールと力を持って確実に、必ず、日本政府に核兵器禁止条約に批准してもらうキャンペーンを創り出そうとなった。日本は世界で一番、核兵器廃絶のために活動している団体が多い国だ。このキャンペーンが目指しているのは『核兵器のない世界』。そのために日本がなるべく早く、どんなに遅くとも2030年までに核兵器禁止条約に加わることが必要。

 力強く『核兵器は必ずなくせる』というメッセージを発信し続けていきたい。核兵器は、市民の力で禁止された。核兵器のない世界を想像しよう。それは今よりもずっといい世界。核戦争に怯えないで暮らせる。日本が条約に参加すれば、世界は変わる。他の核の傘下にある国々にも影響を与えられる。

 キャンペーンには2つの柱がある。1つは、政治への働きかけ。全政党への訪問、政党ごとの勉強会、討論会の開催、国会議員の質問作成への協力などをし、第3回締約国会議への日本の参加を達成させる。また、核軍縮が安全保障にプラスだと呼びかける。動かない政治を国会議員への働きかけを通して変えていく。

 もう1つは、市民への働きかけ。メルマガ、SNS、マスコミなどを通して、核兵器の非人道性を考える人々の層を厚くしていく。そして、キャンペーンボランティア、サポーター、連携団体、協賛企業を拡大していく。核廃絶への関心の低さを様々な手法を通して広げていく。 

 来年には『核兵器の非人道性に関する国際市民会議(仮)』を日本で開催する。日本の市民社会が主体となり、日本政府や議員、専門家や外交官も招待し、第3回締約国会議と連携させる。非人道性の認識を高め『核抑止の危険性とその脱却』や『核被害者への援助と補償』についての政策を提言する。

 今日参加されている皆さんがどう参加できるのかーー

  ①メルマガで情報を受け取る
  ②キャンペーンボランティアになる
  ③キャンペーンのチームに参加する
  ④サポーターになる
  ⑤イベントを開催する
  ⑥核兵器廃絶日本NGO連絡会に参加する

 ことができる。

 皆さん一人一人が主体となって頂きたい。一緒に盛り上げて行きましょう!」

基調講演「終わらない戦禍、それでも核なき世界を目指すには」

 そして、安田菜津紀さん(認定NPO法人 Dialogue for People 副代表/フォトジャーナリスト)から基調講演「終わらない戦禍、それでも核なき世界を目指すには」をしていただきました。

 直接、紛争地域へ足を運び、現地の声を聞いて来られた安田さん。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルによるパレスチナ自治区への攻撃が起こっているこの世界で、戦争の武器として、あるいは戦争の抑止力としての核兵器の存在が肯定される考えがあります。「それでも」核兵器の廃絶を目指し続けるというその原点に回帰させてくれるようなお話をしていただきました。イラク・イラン戦争で化学兵器の被害を受けた町、ロシア軍による射撃の被害に遭った女性、イスラエル軍による入植や蹂躙が繰り返されるガザに暮らす少女、79年前に長崎で原爆の被害に逢った方とのエピソードなど、様々な人たちと直接会ってきた安田さんから紡がれる言葉は力強いメッセージでした

 「核兵器国が何をやっても止められない世界を残してしまっていいのだろうか。被爆者の方々が多くの言葉を私たちに紡いでくださった。それをどうやって広げていくのか、どうやって制度や仕組みに落とし込んでいくのかーー今を生きる私たちにすでにバトンが手渡されている。今起きているような核の脅しは、どこであっても、誰に対しても絶対に許されることではない。」

 「この世界がこれ以上壊れないために、私たちには「まだ」できることがあるはず。これだけ沢山の人が核兵器廃絶のために行動してきたのは事実で、その力を持ち寄ってどう大きな力に変えていくのか、ここ日本から、核兵器があってはならない、脅しがあってはならないという揺るぎないメッセージを形にして、各国を巻き込んでいくのか。取材者の一人としてメッセージを発し続けていきたい」

クロストーク

 後半では、哲学者の永井玲衣さんを聞き役にお招きして、クロストーク「核兵器をなくす日本キャンペーンのこれから」を行いました。なぜ今、日本キャンペーンが必要なのか?日本キャンペーンだからこそ超えられる壁はなにか?私たち一人ひとりにできることはあるのか?日本キャンペーンのこれからについて語りました。登壇者は、渡部朋子さん(NPO法人ANT-Hiroshima理事長 / 日本キャンペーン理事)、田中美穂さん(カクワカ広島共同代表 /日本キャンペーン 広島コーディネーター)、林田光弘さん(日本キャンペーン 長崎コーディネーター)、浅野英男さん(日本キャンペーン 事務局スタッフ)です。

永井さん:「日本キャンペーンはこれまでにない規模で多くの人が関わっている。それぞれがそれぞれの立場で動きながら、それでも緩やかに繋がって一緒に活動していくためには?」

林田さん:「自分が日常の生活を過ごしながら、社会問題のことに取り組んでいるのは地続きだと思う。日常の中で争いの種に抗っていくことが本質的に大事なことだと思う。

 例えば、何気なく電車やバスの中で目の前の人が「核兵器廃絶」のグッズやステッカーを身に付けていたら?こうしたアピールが誰かの今日の活力になるかもしれない。政治家に会える人、影響力がある人だけが関わっているようになるのはキャンペーンとしてもったいないように思う。」

田中さん:「見た目のかっこよさ、スタイリッシュさはこのキャンペーンで追求していきたい。こうした見せ方がキャンペーンに必要だと思う。多くの人の関わりを伸ばすデザインを突き詰めていきたい。」

浅野さん:「一人一人の得意なことや強みを活かせるプラットフォームに(日本キャンペーンを)していきたい。そのためには一人一人と対話していくことが大切だと思っている。日本キャンペーンを本当の意味で市民に根付く裾野の広いキャンペーンにしていきたい。」

永井さん:「アイデアや意見を安心して出し合える環境作りのためには?」

渡部さん:「多少スタイルが違っていても相手の意見を受け入れることを大切にしないといけない。その時、注意しないといけないのは、誰に対して声を届けたいのか。上の世代の人が若い人とやるときには、今までと違ったやり方を加えて、一緒に活動すると強くなれる。」

林田さん:「これまで大事にしていたのが「お互いの活動を尊重すること」。核兵器廃絶のために尽力している人でも、個人としての心情と、組織としての心情とで乖離があると思う。そこで組織への批判と個人への批判を曖昧にしてコミュニケーションを取ると、繋がるべき人と繋がれなくなってしまうかもしれない。お互いに尊重しあってコミュニケーションを取る術を身に付けることが手を繋ぐことだと思う。」

田中さん:「広島選出の国会議員も核兵器廃絶が口先だけの公約になっていることが課題。市民も同じで、核廃絶の重要性を共有するが、それが(実現)できると思っている人がまだ少ない。核兵器禁止条約をもっと噛み砕いて示すことや私たち自身ももっと言葉を持たないといけない。」

渡部さん:「今の日本のメディアを見ていても、自分が命を脅かされている状況にあるということを知ることができていない。日本や世界で何が起きているのか、普通の人に分かるようにしてほしい。どう伝える術を私たちが開拓できるのか、情報が届いてない層にどう伝えていくのか、平たく分かりやすく、自分事になる言葉で伝えることがとても大きい。自分の子や孫に同じ思いをさせたくない。ガザの子どもたちが明日の日本の子どもたちにならないように。」

会場の皆さんからのコメント・質疑応答

Q、歴史の文脈を捉えながら、核保有国が核兵器を保有しているところから学びを深めていきたいと思った。

浅野さん:「核兵器廃絶を前に進めるためには、核保有国の核政策について理解することは重要。キャンペーンでは政治へのアプローチをしながら、日本の政治家が考えていることを市民が理解できるように咀嚼しながら情報提供することが大切だと思う。一部の政治家や運動家だけで語られてきてしまって、市民にとってすごく敷居の高い問題に捉えられているという現状を変えていきたい。そのために専門家と対話し、それを市民に共有していくという丁寧な作業をしていく必要がある。」

Q、被爆80年を目前に戦争・被爆体験の継承をより広めていきたい。

林田さん:「被爆の実相を後世に語り継いだり、世界の人たちと共有することは、核兵器廃絶のために重要なことだ。どういう教育の方法を模索し、課題を持っているのか、このコミュニティで議論できればと思う。体験講話をお願いできる被爆者の方も減ってきている中で、当事者ではない私たちにできることは何なのかを皆さんと共有していきたい。被爆者なき時代が到来しても、長崎には「被爆地長崎」という肩書は残り続ける。被爆地長崎の個人として、組織として、考え続けられる動きが出ている。」

渡部さん:「広島では若い世代が広島を案内し、同じ世代で同じ問題が考えられている。海外の若者たちが広島を学び、海外の視点から広島を語ることで色々な視点から見ることができる。平和な社会のために、行政が進めている伝承ではなく、民間の立場でできることはあり、それを一つずつやっていく。平和教育・育ち合いが大事だと思う。」

Q、グローバルヒバクシャと連携することで、日本国内の核廃絶に新たな意識喚起ができるのでは?

田中さん:「締約国会議でヒバクシャのスピーチを見て、彼らについて知ろうと思えた。個人の声をオンラインでも聞ける今、核兵器の被害が既に起こって来たのかをまず私が知り、共有することの大切さを学んでいる。」

Q、一人でも多くの人が自分事として捉え、アクションが起こせるようになればいいですね。

林田さん:「会話を育てていくことが本当に大切だと思う。色々な人がいて初めて対話が成り立つことをきちんと可視化し、頑張ったことに対してお互いに褒め合うことも大事だと思う。自分が無力感を感じることが活動を一番阻害してしまう。」

最後に登壇者の一言ずつ

林田さん:「このテーマで動くと孤独を感じる場面は多いが、仲間がこんなにいることを会場で確認できることはすごいことだと思う。何か変わるかも知れないという熱を感じた。状況は決して良くないが、それでもなお代わろうとしている仲間がいることは私たちが歩み続けることは大事。」

田中さん:「いろんな課題が積み重なりどうしたらよいか考える日々を過ごす人もいると思うが、希望もあることを示していけたらと思う。どんな社会課題も突き詰めるといつも市民が動かしているということを学んできた。核兵器の問題も一見難しく、政治だけが決めていると思われがちだが、市民が一致団結して、動かしてきたという歴史にこれからも学びながら、自分も動かす一部であるということを胸に、動いていきたい。」

渡部さん:「皆さんまた会いましょう。どうしたってまた再確認し、また頑張ろうと思える対面の場を作っていきたい。やっぱり行き詰まってしまうことはある。でも仲間に会えば一緒にやっていける。全力でやっていこうと思うことが今必要だと思う。」

永井さん:「「対話」の場を開くことをしているが、自分で何ができるのかいつも考えていて、皆さんと繋がっていきたいと思えたし、繰り返し皆さんと何ができるのか、私に何ができるのか、問いを振りまいて行きたい。「問い」は一緒に考える為の他者を求めることだと思う。たくさんの人に見て頂いて、広がっていくこと、すごく力を込めて一緒に頑張っていければと思う。」

参加者での交流会

 シンポジウムの終了後は、参加者との交流会を行いました。ボランティアスタッフの皆さんが企画・運営に当たってくださいました。

 これから、「核兵器をなくす日本キャンペーン」が多くの皆さんと繋がり協力しながら、活動が発展していく希望が持てる時間となりました。

核兵器をなくす日本キャンペーン インターン 倉本芽美
写真:稲原真一(日本キャンペーンボランティア/民医連)

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