【ノーベルウィーク2017 ①】核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のキャンペイナー・ミーティング
ノーベル平和賞の授賞式を翌日に控えた9日(土)午後、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のキャンペイナー・ミーティングが、オスロ大聖堂に近くのNorwegian People’s AidというNGOの施設で行われました。
“Congratulations, Peace Prize!”という言葉で開始されたミーティングは3部で構成され、第1部では「ICANの歴史」、「なぜ、我々は闘うのか―被爆者の声、希望の源としての核兵器禁止条約―」についての発表が行われました。第2部では、「核兵器の危険性と人道的影響」、「核兵器禁止条約」、「ICANにとってのノーベル賞の意義」についての発表が行われました。コーヒーブレイク後の第3部では、①核兵器禁止条約の早期発効、②核兵器国における条約の使い方、③核兵器依存国における条約の使い方、④メディア戦略についての4つのワークショップに分かれ、参加者間で議論がおこなわれました。
第1部の「ICANの歴史」では、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の元共同会長ロナルド・マッコイ博士等が登壇。ICANの誕生の経緯を紹介するとともに、どのようにして今日まで発展してきたのかについて話をしました。また同じく第1部の「被爆者の声」で被爆者の田中煕巳さん(日本被団協代表委員)が登壇し、自らの被爆経験を語ると、それまで受賞の喜びと熱気に溢れていた会場が静まりかえり、会場全体が田中さんの言葉に引き込まれていきました。そして、オスロ、ナジャリット、ウィーンでの核兵器の人道的影響に関する会議で明らかにされた核兵器の「非人道性と反道徳性」から、田中さんは、核兵器は「兵器の名にも値しない悪魔の道具」であると強く訴えました。また、被団協とICANの関係についても触れ、被団協は国内的組織であり国際的な影響力については限界もあったが、「ピースボートと川崎哲さんのお陰で、被爆者が世界中を訪ね、被爆体験を語ることができるようになった」と語り、両者の協力関係が重要な役割を果たしてきたと述べました。
第2部で登壇したWILPF(婦人国際平和自由連盟)のレイ・アチソンさんは、核兵器禁止条約を「私たちの条約」と呼び、核兵器の使用等を包括的に禁止している第1条を「amazing (すばらしい)」と形容しました。
第3部で筆者は、③核兵器依存国における条約の使い方のワークショップに参加しました。そこでは、創価学会平和委員会の河合公明さんとオランダのNGOであるパックスのスージー・スナイダーさんが司会を務めました。
このワークショップには、スイス、イタリア、ノルウェー、オーストラリア、日本、ドイツ、カナダ、ギリシャなどからのキャンペイナーが(それから、自称無国籍者も)参加し、議論を深めました。イタリアやノルウェーでの取り組みが紹介されるなか、多くのキャンペイナーから、デモクラシーの過程を通して政策決定を変更していくことの重要性が指摘されました。その他、教育の役割やソーシャルネットワークシステムやコミュニケーション重要性についても言及されました。
こうした議論の中で河合さんは、日本からの視点と前置きし、先に広島で行われた国連軍縮会議での議論に言及しながら、核兵器依存国と建設的に向き合うためには、核兵器が安全保障に資するという議論に真剣に向き合う必要があると指摘しました。
最後に行われた全体ミーティングでは、核兵器廃絶という目標について私たちには2つの武器があること、すなわち核兵器禁止条約とノーベル平和賞があることを確認し、このミーティングの準備に取り組んでくれたICANのスタッフを壇上に招き、参加者全員が感謝の拍手を送り、閉会しました。
文責:小倉康久(明治大学【国際法】)