Campaign News

2024年07月26日

【2024NPTレポート】核抑止とは何か-NPTの一般討論から考える

はじめに

 スイス・ジュネーブの国連事務局で行われている2026年核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けた第2回準備委員会の一般討論が、7月24日(現地時間)に終了した。近年のウクライナやガザ地域での武力紛争は欧州から中東、南アジア、北東アジアに至るまで、かつてないほど世界的な規模で核兵器の使用への懸念を高め、安全保障における核兵器の役割の強化を進める国々もある。NPTの一般討論における議論もその状況を反映している。

 今回の準備委員会については、核兵器をなくす日本キャンペーンウェブサイト掲載記事や長崎大学核兵器廃絶研究センター掲載記事が、すでに注目点を分析している。本稿では、一般討論に先立つ中満泉国連事務次長・軍縮担当上級代表による開会ステートメントを踏まえつつ、NPTの重要な柱である核軍縮の問題について、一般討論における議論から筆者が考えたことについて述べていきたい。

核抑止という幸運

 「私たちが生き延びることができたのは、単純な幸運によるところも大きいことを忘れてはならない。しかし、今日の危険で複雑な地政学的緊張や、核兵器、新技術、新たな紛争領域が急速に交錯している状況では、再び幸運に恵まれることはないかもしれない。」

 中満事務次長によるこの発言は、核抑止の問題点を正確に捉えている。これは、2年前の第10回NPT再検討会議でグテーレス国連事務総長による、「我々はこれまで非常に幸運であった。しかし幸運は戦略ではない」との指摘を思い起こさせるものであった。

 確かに、1945年8月の広島と長崎に対する米国による原爆投下を最後に、今日に至るまで武力紛争で核兵器が使用されなかったことは事実である。しかし、武力紛争で核兵器が使用されない状況が今後も持続可能であるかについて理論的な保証はない[1]。これが核抑止の第一の問題である。また核抑止においては、相手の侵略行為を未然に防止することに議論の焦点があるが、それを防止できなかった場合にどう対応するのかとの問いに答えを提供しない[2]。これが核抑止の第二の問題である。核抑止では、相手が侵略行為を起こした場合には抑止に失敗したものとされるが、「理論」はそこで終わっている[3]。

 「幸運」によって支えられてきた核抑止は、核兵器の使用を示唆する脅しで自らが望まない行動―侵略行為―を相手にさせないことであり、抑止が破綻した場合には核兵器を使用することが前提となっている。ケネス・ウォルツは、抑止に失敗したときに、国家は「抑止の脅しを実行に移すべきか」という問いは「愚問」だと述べている[4]。このような問いは、「侵略者が報復されないだろうと考えて攻撃に出ることを示唆する」からに他ならない。ウォルツの言葉は、抑止に失敗すれば核兵器の使用は当然であることを含意している。

抑止の失敗という問題

 それでは抑止の失敗により核兵器が使用された場合、生命や暮らしや社会といった、人々が大切にしているものはどのような事態に直面するのか。人々の生存の基盤となっている自然環境についてはどうであろうか。これらは、核抑止の「理論」の外にある問題である。こうした問題を正面に据えて考えてきたのが、ノルウェーのオスロで2013年3月に行われた核兵器の人道的影響に関する国際会議であった。そこでまとめられた議長総括は、いかなる国家または国際機関も、核兵器の爆発が直ちにもたらす人道上の緊急事態に適切に対応し、被害者に対して十分な救援を提供することは困難であり、そうした対応能力を確立することも困難であるとしている。

 核兵器の使用が懸念される深刻な状況を前に、近年では核兵器の使用のリスクの低減が優先課題として議論されてきており、それが喫緊の課題であることは疑いない。しかし、それは核兵器の存在を前提とするいわば対症療法的な措置であり、核兵器の使用のリスクをゼロにするものではない。本質的に重要なのは体質改善的な措置であり、それは核兵器の存在を前提としない安全保障政策を検討することであろう。現実主義の名のもとに議論が現状に引きずられないよう十分な注意が必要である。

核リスクの削減で十分か

 この点を一般討論で鋭く指摘したのが、エジプトやメキシコなど6カ国が構成する新アジェンダ連合(NAC)によるステートメントであった。NACを代表してニュージーランドは、こう述べている。

 「最近のNPT会議では、核リスクの削減について多くの議論がなされている。 私たちは、核の危険が特に危険なレベルに達しており、緊急に削減する必要があることに大いに同意する。しかし同時に、このアプローチには大きな疑問が残る。

・核リスクはどのように測定できるのか。

・核兵器の使用の準備、つまり核兵器の使用の可能性が核ドクトリンの本質的な部分であるならば、核のリスクは現実的にどのようにして「安全」と呼ばれるレベルまで減らすことができるのか。

・また、核兵器が存在する一方で、それが使用され、人道上も環境的にも壊滅的な結末をもたらす危険性があることを国際社会が受け入れている中で、「安全」なレベルとはどのようなものなのか。」

 NACの発言を含めて核リスク削減をめぐる議論については、長崎大学核兵器廃絶センターのブログでも紹介されている(RECNA NPT Blog 2024 第1号「核リスク低減」への問いかけ)。

責任ある核使用はありうるか

 筆者は、NACが一般討論で投げかけた問いをめぐる議論を深めるのは、「『責任ある』核兵器の使用はありうるか」という問いではないかと考えている。昨年のG7広島サミットの「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」は、ロシアの「無責任な核のレトリック」を批判する一方で、「我々の安全保障政策」は、核兵器が存在する限りにおいて、「防衛目的のために役割を果たす」との理解に基づくと述べている。それでは広島ビジョンは、「防衛目的のため」に必要であれば、核兵器を使用する決意を意味するものであろうか。ロシアによる無責任な核兵器の使用は当然ながら絶対に許されないないが、G7の核保有国による核兵器の使用は「責任ある」ものとして許されるのであろうか。

 国際司法裁判所は核兵器の合法性に関する1996年の勧告的意見で、小型で低出力の戦術核兵器の「クリーンな」使用を含めて、国際人道法を遵守できるような限定的な核兵器の使用を正当化する状況を示した国は「皆無」だとした。また、そのような限定的な使用が、高出力の核兵器の「全面的な使用へとエスカレートする」傾向がないことを示した国も「皆無」だとした。これらの問いについて、核兵器を保有する国からの答えは今日もなお示されていない。核兵器に安全保障を依存する国の説明責任は、今もなお問われているはずである。

 先に言及したオスロの核兵器の人道的影響に関する国際会議の議長総括は、「責任ある」核兵器の使用などあり得ないことを示唆している。「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」による2018年3月の『効果的な核軍縮への橋渡し―2020年NPT運用検討会議のための提言―』では、「核抑止は、ある環境下においては安定を促進する場合もあるとはいえ、長期的かつグローバルな安全保障の基礎としては危険なものであり、したがって、すべての国はより良い長期的な解決策を模索しなければならない」と提言していた。

おわりに

 中満事務次長はステートメントの最後で、「事態が悪い方向に急速に変化することもあれば、良い方向に急速に変化することもある。 私たちは、妥協の精神をもって、核兵器のない世界という全体的な目標を見失うことなく、チャンスがあればそれを逃さないようにしなければならならない」とも述べている。

 忘れてはならないことは、中満事務次長が述べた「核兵器のない世界」は、NPT締約国により合意された目標であるという事実である。合意は妥協の精神によって支えられた締約国間の交渉の産物であり、妥協は誠実と信頼の度合いを図る指標である。核兵器のない世界について合意した事実は、そのレベルにまで締約国における誠実と信頼の度合いが達したことを示している。国際社会において信頼が損なわれていると言われて久しいが、安全保障環境が悪化している現下の状況があるとしても、国際社会における誠実と信頼の到達点を示す核兵器のない世界という共通の目標を損なうことがあってはならない。事態は良い方向にも変化しうるからであり、合意された到達点に基づく議論は、その時を作り出す役割を果たすことができるからである[5]。

長崎大学核兵器廃絶研究センター教授 河合 公明

[1] Thomas C. Schelling, “An astonishing 60 years: The legacy of Hiroshima,” PNAS, Vol. 103, No.16 (2006), p. 6089.

[2] Hedley Bull, “Future Conditions of Strategic Deterrence,” in Christoph Bertram (ed), The Future of Strategic Deterrence (Archon Books, 1981), pp. 14-15.

[3] エドワード・トムスンは、核抑止は「反事実的な命題」で「もともと証明を受けつけない」ものだと述べている。E・P・トムスン(河合秀和訳)『ゼロ・オプション―核なきヨーロッパをめざして―』(岩波書店、1983年)82頁。この指摘は、核抑止はそもそも「理論」であるのかを問うものであった。

[4] スコット・セーガン、ケネス・ウォルツ(川上高司監訳、斎藤剛訳)『核兵器の拡散 終わりなき論争』(勁草書房、2017年)26頁。Scott D. Sagan, Kenneth N. Waltz, The Spread of Nuclear Weapons: An Enduring Debate,” third edition (Norton, 2013), pp. 23-24.

[5] こうした議論に貢献するために、長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)は7月5日ポリシーペーパー20『核兵器のない世界のために ― TPNW 第3回締約国会合に向けた議論』を公開し、その改訂版と英語版を7月17日に公開した。こちらから閲覧できる。

CATEGORY

ARCHIVE