NGO News

2024年03月13日

NGO連絡会インタビュー①:核兵器をなくす日本キャンペーン事務局

核兵器廃絶に向けて日本国内で活動する団体および個人の連絡会組織である「核兵器廃絶日本NGO連絡会(通称、NGO連絡会)」。2010年に発足し、核兵器のない世界の実現という共通の目標のもと、各団体が力を合わせて活動を重ねてきました。本年4月には日本の核兵器禁止条約参加を目指す「核兵器をなくす日本キャンペーン」を開始します!

 今回、多様なバックグラウンドを持つNGO連絡会の参加団体をインタビュー形式で紹介する企画を始めます。第1回は、その事務局を担っている「核兵器をなくす日本キャンペーン」事務局です。

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 寒さがまだまだ厳しい3月上旬、「核兵器をなくす日本キャンペーン(4月発足予定)」の事務局を訪問した。西武池袋線中村橋駅から徒歩約7分。商店街を通り抜けた住宅地の一角に、目指す事務局はあった。「事務局」の言葉のイメージから、ビルの一室を想像していたが、何とそこは閑静な佇まいの二階建て一軒家。所有者のご夫婦のご厚意で、一階の10畳ほどの和室を事務所スペースとして使っている、とのことだ。

 筆者を出迎えてくれたのは、事務局コーディネーターでピースボートのスタッフでもある松村真澄さん(47)と、専従で事務局を担う浅野英男さん(27)の二人。
 群馬県出身の松村さんは、ピカソやガウディなどの芸術作品を見たいという夢があり、4年間務めた銀行を辞めて、スペインに留学し、スペイン中を回った。日本に戻ってからはピースボートの通訳ボランティアをしていたが、二つの体験から、スタッフになろうと思ったという。一つは、スペインでは英雄の銅像だった人が、ラテンアメリカに行ったら、先住民族を踏みつぶしている銅像となっており、「視点が変わると世界の見え方が違ってくる」と感じことだった。もう一つは、グアテマラの先住民族の村に行き、36年間続いた内戦の中で、「父が連れて行かれて撃たれてしまった」といった大変な経験を通訳した際のこと。ピースボートは1日、2日しか寄港地にいないので、松村さんが「薄情だと思わない?」と訊くと、先住民の人は「1年に一度でも来てくれることで、世界から孤立していないのだ、と思える」と答え、「短い時間でも訪ねていくことは大切なんだ」と痛感した松村さんだった。
 2004年にスタッフとなった松村さんはラテンアメリカを担当し、交流プログラムを作るなどの仕事を担当していた。ピースボートでは2008年から、被爆者と一緒に旅をして各地で証言をする「ヒバクシャ地球一周 証言の航海(通称:おりづるプロジェクト)」が始まり、このプロジェクトで松村さんは被爆者との関わりができていった。ICANがノーベル平和賞を受賞した2017年以降、核兵器廃絶の運動に重点を置くようになり、核兵器廃絶日本NGO連絡会の活動にも参加してきた。
 茨城県出身の浅野さんが核兵器の問題に興味を持つようになったのは、高校2年生の頃。平和学習の授業で、核兵器廃絶の問題や広島・長崎の歴史を学ぶ機会があり、「大学でこれを勉強してみよう」と思った。大学では国際教養学部に進み、2016年の夏に友人と共に広島へ。平和祈念資料館などを訪れ、いろいろと感じるものがあって、大学卒業まで核や平和の問題の勉強を続けた。
 学部では、国際関係論など「国家」が主語になるような形で勉強してきた浅野さんだが、「核兵器の歴史で被害を受けてきた人たちや、なかなか光が当たってこなかった人たちの視点から見た、核兵器の問題を勉強したい」と思い、第一人者と言われる研究者がいた神戸大学の大学院に進学。2年間、研究を重ねた。その後の進路について迷っていた浅野さんは、当時NGO連絡会の幹事をしていた研究者に相談する機会があり、誘いを受けて、21年9月ごろから、インターンとしてNGO連絡会の活動に携わるようになった。
 22年8月からは核兵器の問題に特化したコースがある、アメリカのミドルベリー大学院で学び、23年12月に帰国した。この間、浅野さんは核兵器禁止条約の第1回締約国会議(22年、ウィーン)と第2回締約国会議(23年、ニューヨーク)にNGO連絡会からの派遣で参加し、世界各地の市民団体や核被害者などと交流を深めてきた。

 現在、事務局の二人は毎週水曜日と木曜日に事務所に出てきて、さまざまな仕事に取り組んでおり、その他の日は自宅でのリモートワークなどをしている。事務所にはテーマごとに違うメンバーが集まり、打ち合わせや議論をする日も多い。
 4月からは、「核兵器をなくす日本キャンペーン」がスタートし、同時にキャンペーンが一般社団法人化するため、松村さんは、定款作りの準備など忙しい日々を送ってきた。筆者が訪問した日にも、法人の印鑑が出来上がり、郵送で事務所に届けられていた。
 浅野さんも日本キャンペーンの立ち上げに向け、4月の発足記念シンポジウムの準備を着々と進めている。2週に1回のペースで発信しているメルマガの作成も担当し、関係団体の情報集めなどに取り組んでいる。活動のための資金調達も浅野さんらの大きな課題の一つで、サポーター制度の導入などを検討中だ。日本キャンペーンを支えるボランティアのオンラインミーティングも毎月開いており、事務局の二人が運営にあたっている。
 趣味について、二人に訊いてみた。松村さんは「ラテン系の音楽も好きだけど、上京したての頃は下町に住んでいたこともあり、落語が好きで、よく行きます。今年も初笑いで、事務局メンバーで上野の鈴本演芸場に行きました」と笑顔で話してくれた。浅野さんは「僕は究極のインドアで、ずっと家にいるのが好き。辛い物が好きで、チャーハンも中華も韓国料理もわさびも大好きです。おいしいものを食べに行くのが、数少ない外へ出る趣味です」。

 最後に、NGO連絡会の支持者やメルマガの読者へのメッセージを語ってもらった。松村さんは「以前、大学生と話した時に、このキャンペーンのことを『核兵器廃絶という自分の思いをかなえる場所』と言ってくれたのが印象的だった。核兵器をなくしたいと思っている人がたくさんいる中で、なかなか一歩踏み出せない人は多い。私自身もラテンアメリカのことをやっていて、被爆者の方に出会わなければ、この運動には関わっていなかったと思う。キャンペーンがいいきっかけになって、どんな関わり方でもいいので、ぜひ関わってほしい」と呼びかけた。
 浅野さんは「日本キャンペーンは、事務局とかNGO連絡会の参加者だけが作り上げるものではない、と思っていて、みんなで一緒に育てていきたい。みなさんそれぞれが『得意だ』とか『こうした関わり方ができる』と思っていることがあって、それらを合わせて一つのキャンペーンにしていきたい。みなさんの思いがかなえられるように、事務局もいろいろな場所や機会を提供できるよう準備していきたいと思う」と話していた。

竪場勝司・ライター

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