【書評】『非核三原則−いま何が問われているのか』を読む(日本反核法律家協会会長・大久保賢一さん)
5月1日に核兵器をなくす日本キャンペーンの川崎哲さん、浅野英男さんによる共著『非核三原則−いま何が問われているのか』が出版されました。
憲法の平和主義の実現や核兵器廃絶を求めて長年活動されている、日本反核法律家協会会長の大久保賢一さんの書評をご本人の承諾を得て掲載します。
『非核三原則―いま何が問われているのか』を読む 大久保賢一
はじめに
川崎哲さんと浅野英男さんが『非核三原則―いま何が問われているのか』を出版した(地平社ブックレット)。「国是」とされる「非核三原則」(持たず、作らず、持ち込ませず)が揺らいでいる中での、きわめてタイムリーな出版である。
高市早苗首相は「非核三原則を堅持する」との言明をしていない。これは、歴代首相にはなかった姿勢である。彼女は「安保三文書」閣議決定に際して、「国家安全保障戦略」にある「非核三原則を堅持する」という文言について、「拡大抑止(核の傘)の提供を含む日米同盟は、我が国の安全保障政策の基軸であり続ける」と矛盾すると考えていた。だから、非核三原則のうち「持たず」「作らず」は引き続き堅持するにしても、「持ち込ませず」については、究極の事態に至った場合、「邪魔になることを懸念」して「削除して欲しい」と要請したという(本書60頁~61頁)。
要するに、高市氏は、非核三原則の「持ち込ませず」は削除して、アメリカの核を持ち込みたいと考えているのである。だから、いま、改定されようとしている「国家安全保障戦略」から「非核三原則の堅持」という言葉は消えるかもしれない。唯一の戦争被爆国に唯一の原爆使用国の核兵器が持ち込まれることになるかもしれないのである。「国是」が揺らいでいるのだ。こういう状況の中で、本書は出版されたのである。
本書の内容
本書は、はじめに―いま、なぜ「核」を問うのか、第1章非核三原則とは何か、第2章非核三原則成立の歴史、第3章激動する世界と非核三原則、第4章安保強化で揺らぐ「核のタブー」、第5章非核三原則はどこに向かうのか―四つのシナリオで構成されている。「入門書」らしく分かりやすく解説されているので、ぜひ、手に取って欲しい。
そもそも、「非核三原則」とは、核兵器を持たない、作らない、持ち込まないという原則である。ヒロシマ・ナガサキを知れば、そんな原則など当然ではないかと思われそうだが、決してそうではないのだ。日本にも、原爆を開発していた時期もあるし、現在でも、核兵器を持ちたい、作りたいという政治勢力は存在している。そういう勢力との力関係の中で、この原則は形成されてきたのだ。以下では、本書の記述を理解する上での基礎知識を整理しておく。
<持たない、作らない、のテーマ>
日本で核兵器の保有が真剣に議論されたのは、1964年の中国の核実験成功の時である。当時、日本は核兵器を持つ能力のある「潜在的核保有国」とされていた。けれども、この「核保有の野望」は実現しなかった。国内の反核世論とアメリカの意向がそれを許さなかったからである。アメリカは日本が核武装することは認めなかったけれど、それに代わって、アメリカは「核の傘」で日本を守る約束した(拡大核抑止)。それがあったので、日本はNPTへの参加を選択したのである(1970年署名、1976年批准)。今でも、「核共有」や「核保有」を言い立てる諸君もいるけれど、NPTの壁は厚い。だから、持たない、作らないは、一応、決着がついているのだ。NPT脱退を選択枝とすることは非現実的だからである。問題は「持ち込ませず」だ。
<持ち込ませずの背景>
1967年1月、佐藤栄作首相(当時)は「核は保有しない、核は製造しない、核を持ち込ませないという核に対する三原則のもとにおいて、日本の安全をどう確保したらいいのか、それが私に課せられた責任」と言明した。この姿勢は、翌年の「施政方針演説」で再確認されている。そして、1971年11月24日の衆議院本会議で、非核三原則は「国是」と決議された。「国是」とは国の基本方針という意味である。このことは歓迎すべきことである。
ところで、当時、この問題がクローズアップされた理由は沖縄の返還交渉が行われていたからである。当時の沖縄にはアメリカの核兵器が配備されていた。誤発射の事故もあった。返還にあたって、その核をどうするかが問題になったのだ。返還するなら「核抜き」にすべきだという要求は無理もない。けれども、沖縄に核兵器を配備しておきたいと考える勢力も存在していた。
当時の佐藤栄作首相は、核兵器が存在したままでの返還はありえないという声を無視することはできなかった。加えて、自ら「非核三原則」を提起していたのである。他方、彼は日本の安全保障上アメリカの核の傘は必要と考えていたし、アメリカも世界戦略の上で沖縄の核の役割を失いたくはなかった。そこで、考え出されたのが「持ち込まず」という原則はそのままにして、持ち込みは「密約」で処理するという作戦である。国民にはウソついて、アメリカの核兵器に依存したのである。
<持ち込まないという政策の矛盾>
この選択は、アメリカの核の傘に依存しながら核の持ち込みを禁止するという、そもそもの矛盾と相まって、ことあるごとに政治問題化することになる。その根本にあるのは、核兵器を国家安全保障のために必要とするのか、それとも核兵器を禁止し、なくそうとするのかの対立である。核兵器使用がもたらすカタストロフィーを避けようとすれば、核兵器をなくすことが唯一の方法である。核兵器に依存しながら、核兵器のない世界をめざすことは、論理的には成立しない。それを政策として実現しようとすれば、ウソとゴマカシが必要となり、それを続けるしかなくなる。ウソとゴマカシをなくそうとすれば、「非核三原則」を見直さなければならないのである。
「非核三原則」は国是とされているけれど、核兵器に依存して国家の安全を確保しようとする勢力からすれば「目の上のたんこぶ」なのである。核兵器使用の危険性がかつてなく高まっている状況の中で、高市首相が「非核三原則の堅持」を表明しないのは、この「目の上のたんこぶ」を取り去りたいからである。
本書は、その根本的対立を基軸として、諸問題をわかりやすく解説している。ぜひ、学習して欲しい。
非核三原則を堅持するために
本書は、「核の傘か、核武装か」という枠組みから抜け出さない限り非核三原則を真の意味で維持し続けることはできないとしている(72頁~73頁)。肝心なことは核に頼るのかそれを排除するのかだという問題提起である。本書は次のように提案する(75頁)。
核兵器の非人道性を訴え、核兵器は許されないという規範を強化する。「核には核」ではなく、核兵器に対する地域的な包囲網を作る。「専守防衛」や『軍事大国とならない』ことと並んで「非核三原則」を堅持して、日本が脅威にならないとの安心を供与する。核兵器禁止条約の締約国会議に参加すること。東アジアにおける軍縮対話を進め信頼醸成と脅威の削減に取り組む。東アジアにおける核リスクの低減についての対話を主導する。
これらの提案は「核兵器が国際的な平和と安定をもたらすというのは幻想」という姿勢から導かれるものであって、いずれも傾聴に値するものである。私もその実現に尽力したい。けれども、私には更なる注文がある。
私の注文
憲法9条の背景には「原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、又は逆に戦争の原因を終息せしめるかの重大な段階に到達した」、「文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を滅ぼしてしまう」、ここに9条の「重大な積極的意義」があるという認識があった(『新憲法の解説』)。日本国憲法は「核の時代」の規範なのである。だから、一切の戦力を放棄し「平和を愛する諸国民の公正と信義」に信頼して「われらの安全と生存を保持」しようと決意しているのである(憲法前文)。
私は、本書が田中熙巳さんのノーベル平和賞受賞スピーチを引用しながら提起している核兵器に代わる「現実的で理性的な安全保障構想」は、この日本国憲法にあると考えている。「核兵器も戦争もない世界」の実現は「人類共通の希望」であり、日本国憲法の非軍事平和主義は、それを展望しているからである。
本書で、憲法は「専守防衛」として援用されているけれど、私はここに記載したように理解している。こんな考えにも関心を寄せて欲しいと思う。(2026年5月14日記)